俺は「余命」を決めた

こんちわ。まー坊です。

突然ですがみなさん「余命」ありますか?

普通ないよね。余命って言ったら何か大きな病気を持っていて治療が見込めないような人に宣告されるものだからね。

昨日、ちょうど余命を宣告された人が書いているブログを見てたんです。

山下弘子さんのブログです。ちなみに昨日、亡くなりました。

http://www.yamashitahiroko.com/

彼女は19歳の時、余命半年と宣告されたんですね。
その時は身体的には問題ない状態だったので、しばらくは普通に外出したりしてもいいとのことでした。

余命を宣告されてからの彼女は、自分の死と向き合いつつも、残りの時間でめいっぱい生きることを決意。

その時から25歳になった今まで生き続けた。

余命「半年」と言われた彼女が5年も。

ただ、この記事で伝えたいことは、山下さんが余命以上に生きたことがすごいということではなく、
彼女が余命宣告されてからの方が充実した人生を送ったというところです。

というのも、山下さんはこのブログ上で
「ガンになってからの生活のほうが何倍も充実している」と言ってたんですね。

無理してそう言ったんじゃね?
と思われるかもしれないですが重要なのはそこじゃないんです。

例えば、自分が余命宣告されたらどうか、考えてみましょう。
僕の場合おそらく、「残された時間でやりたいことしたい」と思うだろうけど、
それは「健康体でいられる期間」によると思ったんですよね。

もし仮に、ぼくの健康体でいられる期間が3日だと分かったら、
今ある仕事を全てキャンセルし、
余命を武器にいろんな人から金をもらってまずは日本一うまい寿司屋で寿司を食い、
その後アメリカに行き、NBAを最前列で見て、金髪美女と毎日セックスし、賢者モードのうちに安楽死する。(本気です)

ただしこれは上述した、健康体でいられる期間(健康寿命と名付ける)が分からないと決められない。

これが分からないから、多くの人間が将来に対して曖昧な不安を持っている。
将来のために安定した企業に入り、老後のために貯金をしようとする。

これは少なからず「将来のために、今を犠牲にする」生き方ですよね。

老後のために今を生きるか

健康余命半年だったら、1年だったら、10年だったら、100年だったらどうだろう。
残された期間によって、違うことをしますよね。

その理由は無意識に「健康余命から逆算して人生設計をしている」人が多いからだと思う。
そしてここからが肝心で、日本で生きている僕たちは「健康余命」ではなく「寿命」から人生設計することを強いられるってことだ。

これが「不幸せな会社員」を増やしている原因の一つだ。

日本では自分の寿命を決めることが認められていないので、
多くの人が日本人の平均寿命を照らし合わせて、
あぁだいたい俺の寿命もこんなもんだな、って思ってる。

ちなみに日本人の平均寿命は84歳だ。
僕ら世代になるとさらに平均寿命が伸びていることが想像できるから、
寿命90歳くらいを想定してる人が多いかもしれない。

そこから逆算して人生設計をすると大変なことになる。
どうやら老後の生活費用は夫婦合わせて平均25万くらいかかるらしいから、
あなたが90歳まで生きる予定なら75歳まで働くとしても
それまでに25万×12ヶ月×15年で4,500万ためる必要がある。一概には言えないけど。

 

無理じゃね?

 

仮に75歳まで普通に働いてその後、老後ライフを満喫するのか。
さすがに75歳ともなるとそこそこヨボヨボになってると思う。
多分今やりたいことを想像して出てきたことは75歳になったらできないことがいっぱいある。

だとしたら老後にかかるコストを支払うために今やりたくもないことをして生きるなんて全く意味がない。
完全に狂っている。

「75歳-90歳の自分のために22歳-75歳の自分を犠牲にする」なんて。

 

もしそれでもいいなら特に問題はないのだが、とりいそぎ僕には問題しかない。

クソほど極端な話だが、寿命から逆算するとこうなってしまう。
でも人生で本当に重要なのって老後じゃなくて健康な期間じゃないですか。
それなら、僕は健康寿命が終わったらぜんぜん死んでいい。
健康寿命が予測できなくて、老後のコストに縛られるなら

「健康余命を自分で決めよう」。そう思ったんです。

60歳で死ぬことを決めました。
海外だったらスイスで安楽死できるってことまでは調べた。健康余命は70歳にしてもよかったんだけど、
そんな長生きしても最後の10年くらいはゲームしかしなさそうだろうから60に決めた。

ちょうどいいと思う。僕の余命はあと「37年」になった。意外と短いかも、、

 

余命を決めて本当によかった

余命を決めてからというもの、考え方が変わった。

0円研究家をやってるだけあって、もともと生活コストはほとんどかかってなくて、
我慢してお金を稼ぐ必要がなかったんだけど、前まではまだ何か仕事しないと、、、っていう感情を持っていた。

けどそれもほとんどなくなって、やりたいことをやっていいんだって思えるようになった。

あとは

・我慢して会いたくない人に合わなくなった
・仕事をする時も、時短や自動化できないか常に考えるようになった
・遅刻をしなくなった

 

など、特に「自分の時間」を無駄にしないようになった。
大学の卒業式が昨日あって「親に卒業証書は絶対もらってこい」としつこく言われましたが行かなかった。

別にそれほど手間の掛かることではないけど、自分が納得できないことにしたがって時間を削られることは我慢できない。
時間=寿命そのものだから。
もし行ってたらこれからも俺の時間が少しづつ奪われ続け、いずれ1、2年分くらいになっていただろう。
俺はその時間を守っただけなんだ。ただ、親にはそこそこしっかりめにキレられた。

あと他人の時間を奪わないように気をつかうようになった。
自分が時間を奪われたら心底嫌なので、他人の時間を奪うということの罪深さも理解できたんですね。
前まで80%の確率で遅刻していたのが50%くらいになった。本当に申し訳ない。

何を伝えたいかというと「余命を決めたら、時間の密度が濃くなった」ってことだ。
以前よりも、自分の時間が多くなった。
自分の人生を生きている実感が大きくなった。

もしあなたの余命があと37年だったらどうでしょうか。
今我慢してることを続けますか。
親や上司、友達に合わせてないですか。

もしあなたが人に合わせて、寿命削ってるいるなら
今すぐ健康余命を決めた方がいい。

これは別にその年齢がきたら絶対に死ぬという意味ではない。
「健康寿命以降のことを一切考慮しない」という捉え方のほうが近い。

実際その年齢になった時にまだ生きたいと思うかもしれないし、
その時どうなるかなんてわかるわけがない。

でも、健康寿命以降のことを考慮していると必ず「今」の濃度が薄まる。
それを避けるために、余命を決めるという選択を取るのだ。

最近のテクノロジーの進歩だって半端じゃない。
人間が不老不死になる可能性もあるらしい。

でも
そんな予測できないこと考えても意味ない。
先のことを考えて今を最大化できない生き方では、将来を案じ続けてそのまま死ぬだけだ。

そんなに不毛なことなはい。

 

山下弘子さんのように自分の時間を生きよう。

 

 

 

 

 










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